毎日新聞の「インフルワクチン：乳児・中学生に予防効果なし」という記事は間違い

毎日新聞において「乳児と中学生においてインフルエンザワクチンの予防効果が無かった」とする報道がされた。しかし、この記事には重大な事実誤認が存在する。
(この記事は、あくまで新聞記事と論文データの食い違いや問題のある記述について言及する物であり、論文の実際の妥当性については検証しない物とする。)


記事に添付されていたグラフ。
画像引用元 (毎日新聞)


グラフの元となっている可能性が高い論文中の表。毎日新聞が「効果が無い」としている部分は、実際にはデータが存在する。
画像引用元 (PLOS ONE)

問題の記事は、以下の毎日新聞の記事である。これは同日に東京版朝刊にて掲載されている。

毎日新聞『インフルワクチン：乳児、中学生に予防効果なし』 (2015年08月30日 09時00分 (最終更新　08月30日　15時09分))
アーカイヴ1 (更新前)
アーカイヴ2 (更新後)

以下その全文を引用する。尚文中において取り消し線が引かれているものは、更新版において削除された記述である。

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インフルエンザのワクチンを接種しても、６〜１１カ月の乳児と１３〜１５歳の中学生には、発症防止効果がないとの研究成果を、慶応大などの研究チームが米科学誌プロスワンに発表した。４７２７人の小児を対象にした世界的に例がない大規模調査で明らかになったという。

　インフルエンザワクチンは、小児では生後６カ月以上の希望する人が受ける。チームは世界的なワクチンの効果を検証する方法に従い、２０１３年１１月〜１４年３月、慶応大の２２関連医療機関を３８度以上の発熱があって受診した６カ月〜１５歳のデータを分析した。インフルエンザへの感染の有無とワクチン接種の有無を調べ、「Ａ型」「Ｂ型」などインフルエンザの型ごとに発症防止効果を計算した。例えば、ワクチンを接種しても感染した例が多ければワクチンの効果は低く、ワクチンを接種して感染していなかった例が多ければ効果が高くなる。

　その結果、６〜１１カ月では、患者が最も多かったＡ型で発症防止効果がみられなかった。１３〜１５歳は、Ａ型もＢ型も効果がなかった。以前からワクチンの効果が低いとされるＢ型は、全年齢で２６％しか効果がないとの結果になった。

　その他の年齢は、Ａ型の発症防止効果が▽１〜２歳＝７２％▽３〜５歳＝７３％▽６〜１２歳＝５８％、Ａ型の中で０９年に世界的流行をしたＨ１Ｎ１型は▽１〜２歳＝６７％▽３〜５歳＝８４％▽６〜１２歳＝９０％−−だった。Ｈ１Ｎ１型については、６〜１１カ月と１３〜１５歳は患者数が少なく分析できなかった。チームは「１〜１２歳では６〜７割の発症防止効果が見込まれ、特にＨ１Ｎ１型では効果が高い」と説明する。

　インフルエンザワクチンには重症化を防ぐ効果が期待されるが、全年齢を対象に調べた結果、重症化の可能性がＡ型全体で７６％減り、Ｈ１Ｎ１型では９０％減ることが確認された。Ｂ型は、重症化を防ぐ効果も確認されなかった。

　チームが現在分析している１４〜１５年の調査でも、同様の結果が出ているという。チーム代表の菅谷憲夫・けいゆう病院感染制御室部長は「乳児に接種が広がっているが、効果がないことが分かった。一方、小学生ぐらいまでの小児は積極的にワクチンを打った方がよいことが示された。１３〜１５歳の中学生で効果がみられない理由は今後の検討課題だ」と話す。【藤野基文】

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この記事の元となったのは、以下のPLOS ONEの論文である。

Masayoshi Shinjoh, et.al. "Effectiveness of Trivalent Inactivated Influenza Vaccine in Children Estimated by a Test-Negative Case-Control Design Study Based on Influenza Rapid Diagnostic Test Results" (2015)

この論文の概況は、記事にもある通り、慶応大学の関連医療機関22に、2013年11月から2014年3月までにおいて、38℃以上の発熱で受診した6ヶ月から15歳の患者4727人を対象に、インフルエンザウイルスの感染の有無と、インフルエンザワクチン接種の有無を調べ、「A型インフルエンザウイルス (Type A)」、「(A(H1N1)pmd09」、「B型インフルエンザウイルス (Type B)」の3種類の型ごとに発症防止効果と重篤化防止効果を計算したものである。即ち、ワクチンの効果である「感染しても病気の発症を防ぐ効果」と「発症しても入院を必要とするほど症状が重篤化する事を防ぐ効果」には、本当に摂取の有無と因果関係があるのかを調べた研究である。
(尚、4727人と言う数字は、統計学的な疾病の研究においては大規模とは言えず、現に当ブログにおいても数十万人規模の統計学的な研究を掲載している。少なくとも疾病研究全般では「世界的に例がない大規模調査」とは言えない。これがインフルエンザワクチンに関する研究のみを指している場合については、現状では反証となる適切な資料が無いので反論しない事とする。)

この記事は、確かに論文に基づいた正しい記述も存在する。最も問題なのは、見出しにおいて「乳児、中学生に予防効果なし」と記述している点である。これを記述通りに解釈するならば、元の論文で記述が無い事を示す根拠、例えばワクチンを摂取したにも関わらず発症例が多いなどのデータが存在するはずである。
しかし、その根拠となるデータには、乳児に当たる6ヶ月から11ヶ月、及び中学生に当たる13歳から15歳の行において、発症防止効果を示すパーセンテージ欄は、それぞれ生データにおいて、A型・乳児で29%、A型・中学生で32%、B型・中学生で29%となっている。これは、確かに他の年齢層と比べれば割合は低いが、しかし効果は一定数ある事を示している。
(尚、一部の欄は "NA" と記述されている。NA とは、この場合 "Not Available" の略であり、「利用不可値」又は「欠損値」を意味する。即ち平たく言えばデータが存在しないのである。その理由は、脚注に "Not analyzed because few patients developed influenza." と書かれている通りである。ざっと直訳すれば「患者数が少ないので分析せず」と言う意味になる。これは統計学的な問題であり、余りに標本数 (ここでは患者数) が少ないと、因果関係の有無を証明しようとしても偏りが無視できず、何も結論が出せないためである。例えば、コインを投げた際に表が出る確率と裏が出る確率が本当に等しいかを検証しようとした場合、3回や10回程度の数では片方の面が偶然にも多数出る可能性がある。これを防ぐためには何百何全何万回と、数を増やすのが一番いい。この研究で言えば、患者数が多ければ多いほど、偶然や偏りが生じにくくなるのである。)

しかし、毎日新聞の記事中では、これを「予防効果なし」「発症防止効果がないとの研究成果」「発症防止効果がみられなかった」などと記述している。明らかに効果が無いと断言している。しかし、実際には数値が導き出されており、他の年齢層と比べれば効果が薄い事は言えるかもしれないが、効果がゼロであるとは言っていない。これは明らかな誤りである。また、乳児に対する接種が直接的な効果が低いにしても、親兄弟といった周りの家族が接種を行う事によって間接的に感染予防を得られる事が出来る点については、論文中には触れられているが、記事中には見られない。

また、論文中ではB型インフルエンザに対するワクチンの効果が薄い理由についても考察がなされている。それはB型インフルエンザが、通常のインフルエンザとは異なり、流行時期が遅い (2月から4月) という特徴がある。しかし、集団予防接種は通常10月から11月に行われる。このブランクが、ワクチンによる予防効果を薄め、結果的にワクチンに有効性が無いかのような調査結果が出されるのではないかと指摘されている。しかし、毎日新聞の記事中には、そういった記述は存在せず、単に効果がない (数値を上げているので厳密には薄いと言う意味の表現になるだろうが) 事のみを取り上げている。これは正確性に問題があると言わざるを得ない。

また、これらの大きな違いと比べれば些細な問題 (ただし無視できない) であるが、記事中で「H1N1型」と言及しているのは、論文中では "A(H1N1)pmd09" と記述されており、これは正確には「2009年にパンデミックを起こしたA型インフルエンザウイルスH1N1亜型」の事である。単に「H1N1型」と書けば、それはH1N1亜型全体を示す語となるが、今回の研究対象はあくまで2009年に発生した新型インフルエンザである。例えて言うなら、新聞には毎日新聞や読売新聞や朝日新聞などたくさんあるが、その研究では「毎日新聞」の事を研究しているのに、記事中では単に「新聞」とのみ書くようなものである。一応一ヶ所だけ「Ａ型の中で０９年に世界的流行をしたＨ１Ｎ１型は」と言及しているが、この記述だけでは「H1N1亜型は、例えば2009年に流行した物である」と解釈する事も可能であり、非常に曖昧である。

最後に、この短い見出しならば、例えば『インフルワクチン：乳児、中学生に予防効果は薄い 重篤化防止効果はあり』重篤化を防ぐ事は可能である事も言及する事が可能な筈である。いくら短くまとめる事が宿命である見出しでも、この正確性を無視した煽情的な記述は看破する事は出来ないであろう。そもそも、これの朝刊版における見出しは『インフルワクチン：乳児・中学生に予防効果なし 慶応大など、４７２７人調査』と書いているのである。副題部分は13文字であり、例として挙げた物は10文字なのだから、入れる事は可能である。仮に紙面の都合で文字を入れる余地が無かったと言い訳をしようとしても、それをするのは苦しいのではなろうか。